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2016-07-21

7月5日 HAPPYBOX762 忠犬ハチ公

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福島コミュニティー放送
エフエムポコ (FM762)
HAPPY BOX762 火曜日担当は私。
朝10時から放送。

放送圏外の方でも、ホームページからきけます。

http://www.fm-poco.co.jp/

(音をきくときは、右上のサイマルラジオのプレイボタンをおしてね。画像は、三角ボタンだよ)

今日の生き物は、渋谷でおなじみ、

「忠犬ハチ公」。

亡くなった飼い主上野さんを待ちながら、渋谷駅に毎日訪れるけなげな犬の ハチくん。

けなげな姿勢は、飼い主への忠誠心からなのか、あんまし頭が良くなかっただけなのか?

また、毎日渋谷へ行っていたのは、駅前の焼き鳥屋からもらえる焼き鳥が目当てだった?

等を検証します(*^_^*)

お楽しみに!

★★★★
ハチを飼い始めて1年余りが経った1925年(大正14年)5月21日、主人・上野は農学部教授会会議の後に脳溢血で倒れ、急死してしまう[1]。ハチは、この後3日間は何も食べなかった。同25日には故主・上野の通夜が行われたが、その日もハチは、ジョンとSと一緒に上野を渋谷駅まで迎えに行っていたという。
→ ここで大きな疑問。 飼い主の死後、ハチは3日もごはんが食べられなかったということは、上野さんが亡くなったことはわかったのではないのか?
それにもかかわらず、通夜の晩に、渋谷に迎えに行くって…。 犬の習慣からくる行動か、あまりに悲しくてなのか、あんまり考えてないのか?
そんで、迎えにいってたのは、ハチだけではなくて、ジョンもSも一緒だったんですね。
ジョンとSは、上野さんがもう渋谷にはこないとわかったから、そのうち行かなくなったのだろうけど、ハチだけは違った。いつか上野さんが現れると信じて、毎日渋谷へむかっていた。  なんとけなげな話でしょうか?
しかし、そんなけなげなはずのハチですが、どうも、上野さんの奥さんにはあまり好かれてなかったようなんですね。
その証拠に ハチは上野の死後、親類の家をたらいまわしにされるんですね。
はじめは、上野の妻、八重の親戚の日本橋伝馬町の呉服屋へ預けられるが、人懐っこい性格から店に客が来るとすぐ飛びついてしまうため商売にならず、だめで、
次は浅草の高橋千吉宅へと移された。しかし、ハチの上野を慕う心は甚だしかったためか、散歩中渋谷に向かって逸走するなどのことがあるほどだった。 さらに、ここでもハチのことで、高橋と近所の住人との間でもめごとが起こり、
ハチは再び渋谷の上野宅へ戻されてしまう。
渋谷に戻ったハチは近所の畑で走り回り、作物を駄目にしてしまうということから、
今度は渋谷の隣 現:渋谷区富ヶ谷)に住んでいた上野宅出入りの植木職人でハチを幼少時から可愛がっていた小林菊三郎のもとに預けられる[1]。
ハチが代々木富ケ谷の小林宅に移ったのは上野が死亡してから2年余りがたった1927年(昭和2年)秋のことであったが、この頃から渋谷駅で、上野が帰宅していた時間にハチが頻繁に目撃されるようになった。
ハチは小林にもねんごろに愛育されていたのにもかかわらず、渋谷駅を訪れては道行く人々を見、食事のために小林宅に戻ってはまた渋谷駅に向かうということを繰り返していた[1]。ハチが渋谷駅を訪れる際には、途中の渋谷大向にある旧上野邸に必ず立ち寄って、窓から中を覗いていたという。
→ やっと2年かけて小林さんちにおちついたんですね。

渋谷駅前に現れ故主を待つようになったハチは、通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、子供の悪戯の対象となっていた。
一方、上野を迎えに渋谷駅に通うハチのことを知っていた日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉は1932年(昭和7年)、渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチの事を新聞に寄稿した。これは東京朝日新聞に、「いとしや老犬物語」というタイトルで掲載され、その内容は人々の心を打った。ハチに付いては翌1933年(昭和8年)にも新聞報道され、さらに広く知られるようになり[1]、有名となったハチは「ハチ公」と呼ばれかわいがられるようになる。
ハチに食べ物を持参する者も多く現れるようになり、またその人気から渋谷駅はハチが駅で寝泊りすることを許すようになった
このようにして、ハチは有名犬となったんですが、
調べてみたら、ちょっとびっくりの事実がありました。
犬がキライだったのは、妻の八重子さんではなく、上野家だったんですね。
妻といってますが、この八重子さん、上野さんとはなんと籍が入っておらず、内縁状態。
だから権限がなかったようなんです。 

■ハチの死
上野が死去してから10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日午前6時過ぎ、ハチは渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口で死んでいるのを発見された。ここは渋谷駅の反対側で、普段はハチが行かない場所であった。
現在の渋谷警察署向かいの本屋の隣にある橋である。
ハチの死後、渋谷駅では12日にハチの告別式が行われ、上野の妻・八重や、富ヶ谷の小林夫妻、駅や町内の人々など多数参列した。また、渋谷・宮益坂にあった寺の僧侶など16人による読経が行われ、花環25、生花200、手紙や電報が180、200円を超える香典など、人間さながらの葬儀が執り行われたという[8]。
ハチは上野と同じ青山霊園に葬られ、その墓は亡き主人の墓のすぐ隣に寄り添うように立てられた。死体は剥製にされ、現在は東京・上野の国立科学博物館に所蔵され、幾度となくメディアにも登場している。
■ハチの死因
ハチが死亡後、間もなく、死体の病理解剖が上野の勤務先であった東京帝国大学農学部において行われた。
解剖の結果、ハチの心臓と肝臓にはフィラリアが寄生し、それに伴う腹水が貯留していた。
そしてなんとなんと、胃の中からは焼き鳥のものと思われる串が3 - 4本見つかっている。
えっ?じゃあ、実際は、死因はフェラリアでなくて、焼き鳥の串が原因?

解剖の結果、胃の中に折れた串が数本あったが胃壁に刺さってはいなかった
フィラリア症は中程度(決定的致死原因に非ず)であって、心臓に重度の浸潤性癌が、肺に転移性の癌があることが確認された。この再検査の結果は2011年に発表された
垂れた左耳は内側の軟骨部が付け根部分で咬み抜かれており、たぶん、野犬にやられたのでしょうとのことでした。
焼き鳥!!  私もむかしわんちゃん飼っていましたが、焼き鳥を串付のままあげたことないんですよね。 串ついたまま食べちゃうなんて、よっぽどおなかがへっていたんでしょうか?
そんで、実は、ハチ公は、飼い主を待つために渋谷へ行っていたわけではなく、
焼き鳥をもらうために渋谷へいっていたなんて説もあるんです。
なんか夢をこわす話ですが、 ううーむ、ハチよ。
でもま、どっちもあるんでしょうね。 さすがに9年も死んだ飼い主だけを待って駅にいっていたなんてことはないだろうと。 わかってはいたけど、習慣になっていたのかもだし。

1934年(昭和9年)1月には「忠犬ハチ公銅像建設趣意書」が作成され、銅像建設の募金が開始された。同年3月10日午後5時から神宮外苑の日本青年館で、ハチと共に発起人の斎藤弘吉、上野未亡人などが参加した「銅像建設基金募集の夕」が開催され、約3000人がハチを見ようと集まった[15]。その後、同年4月21日には渋谷駅前に「忠犬ハチ公像」が設置され、盛大に行われた銅像の除幕式にはハチ自身と300人もの著名人が参加した。
ハチは、除幕式の翌年、1935年(昭和10年)3月8日に死亡した。この際、ハチ公像の周囲は花環で埋まり、大勢の人々が集まってハチの死を哀れんだ

→ ハチ生存中に 銅像がつくられていたんですね。どんな気分だったんでしょうね?
戦時中の金属供出によって失われた忠犬ハチ公像であったが、終戦後の1948年(昭和23年)8月、再建された。敗戦後の日本は当時、いまだ連合国軍の占領下にあったものの、忠犬ハチ公の物語は大戦前から外国にも紹介されて知られており、再建にあたっては連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の愛犬家有志も有形無形の力となったと伝えられ、この再建像の除幕式である8月15日には、GHQの代表も参列した。
軍国主義を思い出せる「忠犬」という言葉ではなく「愛犬」ハチ公にしようという意見があったが、最終的に「忠犬」のままとなった

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プロフィール

あきばたまみ

Author:あきばたまみ
絵本作家

福島県福島市出身 11月23日生まれ 射手座 A型

「ちいさいいのち」をテーマに絵を描いています。

大学卒業後、NYに行く。帰国後、インディーズにてCDをリリース。コミュニティーラジオのパーソナリティーを務める他、都内でライブ活動展開。2001年からは本の表紙を手掛け、個展を開くなど、イラストレーターとしても活動開始。

ART WORK

出版

・雑誌「えくせれんと」内「ほのぼの劇場」 
 http://www.eh-book.net/link.htm

・絵本「インコの手紙」2007年6月21日に経済界より出版! 
 全国書店にて販売中!
・絵本「インコの手紙」2008年7月 第3版出版

・2009年2月14日 宮沢賢治著 あきばたまみ作画の 
「銀河鉄道の夜」源流社より出版!!

・2011年6月 福島県の山「花見山」を舞台にしたお話
 「きんばあちゃんの花見山」出版。 牧野出版

・2012年4月~メディクプレス社 「うちのくすり箱」表紙担当

 http://medicpress.co.jp/index.html

2013 「ひつじのたまご」青根出版 谷川かじか著 あきばたまみ絵
2014 「パロパロとドクターかぶとむし」青根出版 谷川かじか著 あきばたまみ絵
2015 「インコの手紙完全版」経済界 

他はトップ記事にて

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